どうも!アルジュナ広報ノダです!
みなさん片目を失っても今のように働ける自信はありますか?
「いや!片目くらいならなんとかできる!」
気合の入った人はそう思う人もいるかもしれません。
では、片目だけではなく「両腕」も失ったらどうしますか?
さすがに僕は心が折れてしまいます。
というか99.999%の人が絶望するんじゃないでしょうか。
しかし10歳で片目を失い。17歳で両腕を失いながらも
北海道の過疎の町で100億円企業を築いた経営者がいます。
その名は「高江 常男」さん。
「日本でいちばん大切にしたい会社」という日本の中小企業を紹介する本の5巻に掲載されているエピソードを読む、衝撃を受け「執念の経営」という自伝を買って読んだノダが現代の地方経営とブランディングにおけるヒントを探るのが今回のテーマです!
ハードモードすぎるスタートライン
高江 常男さんの自伝を読み始めると、その人生における過酷さに胸が苦しくなります。
決して裕福ではない家庭に生まれた高江常男さん。
北海道の芦別に7男4女の6男として生まれました。
しかし子だくさんに恵まれたのにもかかわらず家に残った男の子は6男の常夫さんと病気をかかえた7男だけで、あとは病気や戦争で亡くなってしまったそうです。
この時代、そして高江家の当時の生活の過酷さが分かります。
さらに悲劇が襲います。
高江さんが小学四年生のころ、飛ばした竹とんぼが右目に刺さり眼球を摘出するという大怪我を負ってしまいます。
片目は義眼になり、それが原因でいじめを受け、学校に通えなくなってしまいます。
その後、紆余曲折あり14歳で炭鉱での仕事に就きます。
炭鉱で働きながら猛勉強をし16歳で独学で電気工事技士の資格を取得し、
電気工事会社に就職します。
これから順風満帆な仕事が待っていると思いきや
最大の悲劇が高江さんを襲います。
釧路の郊外で電線を張る仕事をしていた時です。
電線に手をかけた瞬間、激しい火花と共に高圧電流に感電してしまいました。
その結果、高江さんは両腕を切断するという絶望的な状況に陥ってしまったのです。
この時、まだ19歳でした。
絶望からひたすら努力をつづける

さらに追い打ちをかけるように父親が亡くなり、もうこの世の絶望を経験し尽くしたような状況ですが、
高江さんは諦めず、今の状況でできる仕事を探し続けます。
僧侶、保険の外交員、洋服店の経営など挑戦はしますがことごとく失敗。
しかしそれでも諦めませんでした。
元々文章を書くのが得意だった高江さんは口にペンをくわえて文章を書く仕事に活路を見出しました。
しかし小学校しか出ていないので学力が足りないと考えた高江さんは1日3時間睡眠を実行して百科事典を読み、小説を書き、詞を書く凄まじい勉強を始めたそうです。
睡魔が襲えば北海道の氷点下になる外にでて氷のような水に顔をつけ、身近には縫い針を置いて眠くなれば針で足を刺して勉学に励んだそうです。
想像を絶する努力と精神力です。
サミュエル・スマイルズの名著『自助論』にこんな言葉があります。
「天は自ら助くる者を助く」
高江さんは不断の努力で運命の扉をこじ開けていきます。
新聞記者から起業へ

努力が実り、高江さんの博識を買われ新聞記者になります。
両腕の無い高江さんは近所の少年を自腹で雇い自転車に乗って取材先にでかけ、少年が用意するメモ用紙に口でペンを走らせました。
こんな状況でも毎週原稿用紙50枚以上という凄まじい勢いで記事を書き続け、NHKの報道特賞をもらうこともあったそうです。
そして様々な取材のなかで、自分と同じ身体にハンデのある障がいを持った人たちに出会います。
そういった方々に仕事を紹介しようとしても、どこも断られてしまいます(当時は障がいを持っている方が働ける環境は非常にすくなかった)
その結果、高江さんは決心します。
「雇ってくれる会社がなければ自分でつくればいい」と
クリーニング業をはじめるがまたもや試練の連続

十数人の障がいをもった仲間たちといっしょに何の事業を行うか考えた結果
「クリーニング事業」を主軸にすることになりました。
理由としては
当時ちいさなクリーニング店が多かったので大量生産で生産性を上げれば勝ち目があったこと
また、クリーニング業は洗浄、仕上げ、包装、配達、集金と分業がしやすく障がいの度合いに応じて分業がしやすかったことなどがあります。
しかしやっとスタートしたと思ったら、地元のクリーニング業者が猛烈な反対運動を始めたのです。
決まっていた融資の約束が取り消されたりと出鼻から倒産の危機に直面します。
町中をかけまわって、炭鉱の労働組合の組合長の方に保証人になっていただき何とかギリギリで倒産を免れたそうです。
会社が動き出してからも大変でした、
クリーニングの受注は押し寄せたのですが、機械も人手も足りず資金繰りに追われることになります。
その結果、高江さんは会社を経営しながら新聞記者の仕事も続け、10年間設立した会社から1銭も給料を貰わず働き続けました。
毎朝6時から工場で仕事を始め、夜中まで働き続ける毎日。
食事を摂る時間も満足になく、カチカチに凍ったおにぎりをお茶をかけて溶かして食べていたそうです。
そんな壮絶な日々を繰り返す毎に会社は成長していき設立8年目頃に軌道に乗り始めました。
障がいを持った人たちが最後まで安心して暮らせるように

高江さんの会社は順調に成長を続け、
介護事業や特別養護老人ホームなど様々な事業も立ち上げました。
現在高江さんの会社 光生舎では400人以上の障がい者が健常者と同じように働いており、全体の従業員の3割を占めます。
そこには障がいを持った人でも最後まで誇りをもって働き続けられる環境を常人離れした精神力で作り上げてきた高江常男さんの強い想いが形になっています。
「障がい者であれ健常者であれ一生懸命働く人間しかいらない」
というのが高江さんの口癖だったそうです。
壮絶な環境で不断の努力を続けた高江さんだからこそ胸に響く言葉です。
地方の経営とブランディングにおいて忘れてしまったものがそこにある気がした。

僕は定期的にこの高江常男さんの本を読むようにしています。
自分の人生に困難が立ちふさがった時に「高江さんに比べれば・・・」という勇気がもらえるからです。
令和の今の時代には、古い経営と思われるかもしれませんが、
自らの境遇や環境から社会課題を見出し、それを会社という公器で実現していく。
そしてその壮絶な物語や一貫した理念が人を引き付けるブランドになっていく。
きっと高江さんの時代にブランディングやマーケティングという言葉はなかったと思います。
インターネットもSNSも無い時代だからこそできた無茶もあったかもしれません。
それでも圧倒的な物語は世代をこえて僕のようなウェブディレクターにぶっ刺さりブログの記事にしてしまう衝撃があったわけです。
便利なマーケティングのフレームワークや多種多様なブランディングの事例が多い世の中ですが
こうしたまっすぐな人間物語がこれからの時代ユーザーに刺さるんじゃないかと個人的には思ってます。
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